記念湯 髭内 隆史 代表 TAKASHI HIGEUCHI
福井県出身。1958年に横浜で2代目として営業開始し現在に至る。
福井県出身。1958年に横浜で2代目として営業開始し現在に至る。
銭湯を始める前は、私の父は福井で理容院、母は美容院をそれぞれ経営していました。そんな中、母は家族でできる商売はないかと考え、「銭湯がいいのではないか」と思ったらしいです。母は横浜、川崎、東京で物件を探し始め、いくつか見回った中で、この場所がいいとピンときて、紹介してもらったその日に即決しました。まさか、その日すぐに決めるとは思ってなかったので、手持ちのお金もなかったそうですが、一緒に不動産を見てくれていた同じ福井出身の知り合いの人が「ここは絶対いい。私がお金貸してあげるから決めたらいい!」と背中を押してくれ、帰宅してすぐに送金したそうです(笑)。急に決まったので、福井から横浜の引越しなど大変でしたね。両親が先に横浜入りして、僕は卒業まであと少しだったので親族の家で3ヶ月お世話になり、あとから両親と合流しました。それにしても母の決断の早さは凄かったと思いますね。
うちの特徴的なところの1つは、お風呂は普通は男湯・女湯の2つを左右対象で作るものなのですが、違う形で作ったところです。これは当時珍しかったので、お風呂の設計士さんにも驚かれたことを覚えています。みなさん、知らないと思うけど(笑)濾過器を導入したのは横浜市でも早い方でした。初めは周囲の人に反対されましたが、母は今思うと画期的なことをサッと決めていく人でした。超音波とサウナの導入も横浜市で早い方でした。それから20年くらい経ち、古くなった箇所は50年持つようにと大々的に改装して、タイルは滑らないものに変え、2つあるお風呂のいっぽうに露天風呂を作りました。もういっぽうにも何か面白いものをと遊具のウンテイを作ったんですよ。お風呂に浸かりながらウンテイにぶら下がるとすごく気持ちいいんです。露天風呂は日替わりで男湯、女湯が交代するので「今日露天はどっちですか?」と問い合わせいただくほど、楽しみにしてくださる方もいらっしゃいます。あと一番多い問い合わせはサウナですね。人数制限のある小さなサウナで、満員で入れない時もあるため「今すぐに行けばサウナは大丈夫ですか」というお電話もよくいただきます。サウナは入浴料とは別に300円お支払いいただいているのですが、全く人気が衰えませんね。
公衆浴場は娯楽施設ではないので、どなたにでもひらけた、住民の日常生活の衛生を担う役割があります。でも神奈川県は助成金が東京都に比べると少なくて、全国的に見ても銭湯の料金は高いんですよ。
うちで一番売れているものといえば、瓶入りのコーヒー牛乳で、大人にも子供にも喜ばれています。お子さんが「コーヒーってこんな味なの?こんなに美味しいの!」という声が上がっているのをよく聞きます。やっぱり瓶で飲むのが確かにうまいよね!お父さんと小さな男の子の親子がいらした時なのですが、お風呂上がりにお子さんがぐずりだして、お父さんが飲んでいるコーヒー牛乳を一緒に飲んだら、お子さんの機嫌が一気に直ったこともありましたね。
地域の方で毎日通われている方もいらっしゃいますが、うちはありがたいことに駅近で、バスの停留所もすぐそこなので、いろんな年代の方が様々な場所から来られます。わざわざ足を運ばれる人もいらっしゃいますね。うちのサウナのお店と思って来られるとちょっと違うのですが(笑)。ランニングコースの帰りにお風呂にサッっと入って帰られる方々もいます。曜日や時間帯によっても来られる方が変わりますね。面白いのは、うちが夜11時まで開いているでしょ。だから横浜駅から12時くらいに発車する夜行バスに乗る前に、お風呂に入っていかれる方も結構多いです。僕がお風呂を継いだ時にこの辺りに36軒の銭湯があったのかな。それが今では4軒しかない。みなさんが続けてくださいねって言ってくれますが、維持して継続していくのは大変ですよ。でもうちが辞めちゃったら怒られちゃうだろうな(笑)。頑張って続けます。
※上記記事は2024年4月に取材したものです。
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