長島 聡 代表(長島帆布)のインタビュー

長島帆布 長島 聡 代表

長島帆布 長島 聡 代表 SATOSHI NAGASHIMA

1955年に祖父である長島徳雄が製帆工場を経て独立。そのノウハウを受け継ぎ、二代目長島修により、テント・シートを中心に製作・施工する「テント屋」として今日までを歩む。2023年に二代目である父から会社を継承。(京急線「戸部駅」より徒歩3分)

母の一言をきっかけに祖父の代からの「テント屋」を引き継ぐ

初めは建築系の専門学校に進み、建築CGを主に学んでいました。それを生かす形で就職先を探してはいたのです。そんな時、母が「テント屋さんもお父さんの代で終わりか」と呟くのを耳にしました。学校の先生に相談したところ、「それは絶対に継ぐべき」と強く推され、この道を選んだということになります。

小学生の頃から布に穴を開けたり、父の仕事を手伝ってはいました。専門学校を卒業してからは、その延長線上で家業を手伝うという形でした。当時は給料とも言えないような給料でしたから、仕事が終われば飲食店でアルバイトをする、という生活が10年ほど続いたでしょうか。それがだんだんと仕事を覚え、出来ることも増えてきて、逆に仕事を私がいただけるようになり、昨年、父から代替わりをしたのです。

そもそも、「テント」とは何か

『長島帆布』は私の祖父が作った会社です。祖父は製帆工場で工場長をしていて、1955年に今に続く「テント屋」の礎を作ってくれました。「テント屋」と言っても、イメージが湧かない人が多いかもしれません。例えば、商店街のお店の軒さしに文字が描かれている布製の屋根がありますよね。あれもそうですし、駐車場の券売機の上の屋根もそう、トラックの荷台の幌(ほろ)や工場で見かける機械類のカバーもやります。最近は出し入れ可能なオーニングが主流になってきていて、ご自宅の日除けや風除けにも需要があります。あとは、間仕切り関係ですかね。間仕切りといっても、ビニールカーテンやロールスクリーンなども含まれます。それらを製作し、取り付けまで行うのが、私たちの商いということになります。

父から子へ、仲間から仲間へと受け継がれてきた技術

建物が出来る際、1つの施工業者として発注していただくことがほとんどです。もちろん、お店を開くという個人のお客様から「テントをやりたい」と発注をいただくこともあります。それから、先ほども言いましたように、個人宅で西日が激しいなどの理由で「日除けに」とご注文を受けることもあります。

父の代から組合に入っていました。祖父が亡くなったのが、父がまだ二十歳かそこらの時で、その頃から同業他社に手伝いに行っていたようです。その繋がりもあって、私も同業他社に手伝いに行くようになりました。父の情報と同業他社の情報で、今の技術まで成長していけました。

オーダーメイドの“テント製品”も

テントだけではなく、その技術や素材を生かした製品を販売していきたいと考えています。お店には使われなかった端材が並んでいますが、当然モノは良いですから、以前からもったいないとは思っていました。最近では、布そのものを求める方もいらっしゃいます。ただ、強い特殊な生地なものですから、普通の家庭用のミシンでは縫うことが出来ないんですね。ですから、布を切り分けて必要な分をお売りすることもありますし、オーダーをいただいて製作することもあります。外国製の折りたためるカヌーを収めるリュックを作って欲しいという方もおられました。用途によっては通常の布だと難しいものがありますから、“テント”が活きてくることもあります。以前より一点ものの商品を求めるお客様が増えてきた気がします。

地域のみなさんへメッセージ

西区のお店屋さんのテントはもちろんのこと、町内会の集会用のテントなどを収めさせていただいており、地域の方々には今も昔も大変お世話になっています。「布を見たい」。そういったご要望も承っています。テントに限らず、「CANVAS(布)」のことでしたから、看板など、何か力になれることがあると思いますので、お気軽にご相談ください。

 

※上記記事は2024年3月に取材したものです。
時間の経過による変化があることをご了承ください。

長島帆布 長島 聡 代表

長島帆布長島 聡 代表 SATOSHI NAGASHIMA

長島帆布 長島 聡 代表 SATOSHI NAGASHIMA

  • 出身地: 神奈川県
  • 趣味: 音楽鑑賞、映画鑑賞
  • 好きな映画: ホラー映画
  • 好きな音楽・アーティスト: オールジャンル/Mrs. GREEN APPLE、玉置浩二
  • 好きな観光地: 金沢、大阪

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